2019年7月1日月曜日

土方歳三の身長は?鬼の副長は高身長でイケメンだった?



土方歳三と言えば新撰組でもトップクラスの人気を誇る幕末の剣士ですよね。

大河ドラマなどで2枚目の俳優さんが演じていますが、実際は土方歳三と聞いても〝新撰組〟〝鬼の副長〟〝箱館戦争〟くらいのキーワードしか出てこない人は多いのではないでしょうか?

今回は有名過ぎて知っているようであまり知らない土方歳三について調べてみました。


土方歳三は身長が高くイケメンだった!?


土方歳三の身長の前に当時の日本人の平均身長がどのくらいだったのかというと160cm前後だったと言われています。

現代の日本人男性の平均が170.7cmなので(もうちょっと高い気もしますが)今よりも10cmほど低かったんですね。

そして、土方歳三の身長ですが

「5尺5寸~8寸」

1尺が30.303cmなので5尺で「151.515cm」
1寸が3.0303cmなので5寸~8寸は「15.1515~24.2424cm」

おおよそ167cm~176cmくらい。

結構幅がありますが、仮に176cmだとすると当時の平均よりも15cm以上高いことになるのでかなり高身長だったことになりますね。

仮に167cmだったとしても平均よりは高いことになります。

現代だと177cm~186cmくらいという感じなのでこれで顔もイケメンなら女性からもかなりモテた事が容易に想像できます。



土方歳三の人生を振り返る、「バラガキ」と呼ばれた幼少期


高身長でイケメン、鬼の副長土方歳三はどんな生涯を送ったのでしょうか?

彼は戊辰戦争の最後の戦場となった函館の五稜郭で銃弾を受け戦士しています。

享年34歳

強烈な印象を現代まで与え続けていますが若くして亡くなっているのですね。

土方歳三は1935年の5月5日に武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市あたり)で10人兄弟の末っ子として生まれました。

土方家は多摩の豪農であったため裕福でしたが、歳三は両親を幼い頃に病で亡くしており、次兄の喜六の妻、〝なか〟によって育てられました。

幼少期から「バラガキ(触ると痛いイバラのようなガキ)」と呼ばれ、この辺りから既に〝鬼の副長〟の片鱗が垣間見得ていますね。

その後11歳頃から奉公に出たと言われていましたが、今では様々な資料が出てきて何歳から何歳までが奉公の期間だったか真実ははっきりとしないようです。

その後、里に戻った歳三は実家秘伝の「石田散薬」を行商しつつ、各地の剣術道場で試合を重ね修行を積みます。

そして〝近藤勇〟との出逢いは歳三の姉(のぶ)の夫(佐藤彦五郎)が天然理心流に入門し自宅の一角に道場を開いた際、そこに近藤が指導に来ていたのがきっかけでした。

そこから歳三も正式に天然理心流に入門します。

その後、近藤勇が天然理心流の4代目宗家を襲名し、江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の警護の為の浪士組に応募

二人は京都へ行くことになります。

そして、そこからは多くの方が知る壬生浪士組から新撰組が発足。

近藤が局長になった後、土方は副長となり近藤の右腕として京都の治安維持に当たりました。

この辺りまで来るとまた大河ドラマで『新撰組』が見たくなって来ますね。



まとめ


・土方歳三は当時としては平均よりも高い身長(167cm~176cmくらい)だった。
・実家は裕福な豪農だったが幼い頃に両親を亡くし次兄の妻に育たられた。
・幼少期から「バラガキ」と呼ばれるなど〝鬼の副長〟の片鱗を見せていた。
・近藤勇との出逢いは姉の夫が天然理心流の道場を開いたのがきっかけ。
・近藤が天然理心流の4代目宗家を襲名し、浪士組への応募から共に京都へ赴く。
・壬生浪士組から新撰組へ
・近藤が局長となった後、副長の座に就き右腕として京都の治安維持に当たる。
・戊辰戦争で銃弾を受け戦死。34歳という若さだった。


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